フワフワ宙を漂うクラゲの様な半生。ナリのプロフィール

改めて。。

 

初めまして!ナリです。

 僕は整体のお仕事をしています。

一応柔道整復師という国家資格も持っています。

先日、訳あって離職しました。

しばらくは何も考えたくありませんでしたが、妻子持ち、家のローン、子供の養育費、その他もろもろ支払いはてんこ盛り。

思考停止してる場合ではない笑

とりあえず、ホームページ作成、副業でも整体やっていたのでそのお客さんたちへアナウンス、家族に名刺配ってもらったり。

本当ここ2〜3週間でやってた事なのでこれに関してはまだまだ継続してやらねばならないですね。

 

という訳で今、あせりながらも軸を戻すためにブログをやろうと思ってます笑

このブログはもともと何もする事ないからやってみようかなみたいな軽い気持ちで始めたものでした。

 

これまでこう言ったものはなかなか続かない性格だったので、この先も不安でしょうがないですが、とりあえず毎日投稿を目標に1カ月は続けてみたいと思います!

 

 

 

 

幼少期に形成された引っ込み思案

思えば幼稚園の頃が今までの人生で一番輝いているように感じます。

思いっきり朝から晩まで遊んで、好きな友達と喧嘩もする事なく、毎日が冒険で自分たちの世界でとても幸せでした。

けど、一番嫌な思い出も同じ時期にある。らしい。

ほとんど覚えてないが、両親が喧嘩をして母が夜中家を飛び出したことがあったそう。

その時、僕が裸足で母を追いかけて引き止めたという事があったらしい。←当の本人は覚えていない。

この時に、楽観的でもある反面、大切な人が離れていく怖さを強くすり込まれていたのかもしれないですね。

 

 

3度の転校で出来上がった価値観

父親の仕事で転勤族だった我が家。

任期が3年というスパンであったので、子供からしてみればちょうどいい感じに友達も出来てこれからもっと絆を深められるって時に転校するのです。

 

そうなると、

 

「どうせまた、転校するんだから友人関係はあまり深めないでおこう。そうすれば傷つかなくて済むから。」

 

というなんとも卑屈な考えに至ったわけです。

出来るだけ目立たず、空気の様に過ごせば良かったはずでした。

 

がしかし!

 

ここは沖縄。

 

転校初日に肩組む友達ができてしまうのです。

内心、「ほっといてくれ」って思ってました。

すみません。

 

みんなとある程度仲良くなるけど、もう一歩踏み込めない自分がいて、今思うと本当に情けないなと思います。

 

もっとまわりの人に笑ってあげればよかったな

 

3度目の転校は元いた場所に戻って来たのですが、何しろ思春期。

小学生から中学生になった途端、みんな大人になってるんです。

記憶の中では3年前の時で止まっていて、僕の中では「お前誰だっけ?」っていうのが結構いました。(本当すみません)

 

またしてもここは沖縄。

小学生の時からヤンチャだった友達でもなかった男の子。3年経つと立派な愚連隊へと進化を遂げていました。

転校初日に彼の方から肩を組まれてまたしてもみんなに囲まれて歓迎ムード。

 

「お願いだから誰も気にかけないでくれよ」

「中学も卒業したらみんなバラバラになるのに仲良くなってしまったら切なくなるじゃないか」

 

そう思いながら中学の残り2年を過ごしました。

 

この幼少期〜思春期前半までのうちに、表層だけの人付き合いを自ら植え付け、殻に籠ろうとしました。

 

 

なぜか急に幼なじみと呼べる人が欲しくなった。

 

高校進学を機に、中途半端な考えはやめようと思い、部活に入部してこの3年間はこれだけに情熱を注ぐっ!!と急に炎を燃やします。

それはまるで、これまでの価値観をその情熱で燃やすかの様に…

なんつって笑

まぁ実際の所、それまで情熱的に何かに打ち込むことをしてこなかった所があり、そのせいで自分に自信が持てないんじゃないかって本能的に感じていたのかもしれません。

もちろん、この時期は部活一筋、同じ競技で同じ目標を目指し、苦しみや喜びを分かち合った仲間が出来ました。

この競技、3年だけ頑張るつもりが、そのあとの大学4年間も頑張っちゃいました笑

 

この時期に付き合っていた友人関係が今でも繋がりが強いし、なんでも腹割って話せる仲間です。

 

モラトリアム延長お願いしやーっす!!

 

社会人になるかと思いきや?

大学卒業後は目指したい職業が出来たため、親に頭を下げて専門学校へ行きました。

大学時代、人生のモラトリアムを無駄に過ごしてしまい、ここで回り道をしてしまいます。

 

この時期がある意味1番しんどかったのかもしれない。

 

まず、自己管理が出来なかった。

 

昼から学校、夜から仕事。深夜はネットサーフィンもしくはゲーム。寝るのは2時3時。朝起きれなくて、学校行くギリギリの時間まで寝る。の繰り返し。

 

こんな生活してたら徐々に病んでいきます。

 

目覚めた時に後悔する。

 

これを幾度となく繰り返す。

 

どうしようもない自分を責めまくって一時軽い不眠症になります。

 

モラトリアムと感じ、動きたい気持ちとは裏腹に時間だけが過ぎ、、

 

2011.3.11.東日本大震災

 

東京でもかなりの震度を観測。

 

その揺れはまさに地面が液状化してアスファルトが波打つような感覚でした。

 

その当時、僕は帰宅困難者で電車で1時間のところ、徒歩で6時間もかけて帰りました。

 

死を感じたのは初めてで、これから先のことをより強く考えました。

 

それから2週間後、荷造りをして逃げるように沖縄に帰ってきます。

 

フワフワ漂ってると衝撃的な出来事が起こる気がする。

 

 

あの頃の情熱をもう一度。

沖縄に帰ってきてもモラトリアム感は少し残ってはいたものの、危機感は持ち合わせていました。

国試浪人を経てようやく国家資格を取得。

再就職をした先は部活みたいな職場でした。

スタッフの平均年齢も若く、みんなフレッシュでエネルギーに満ちていました。

掛け声的な挨拶もお客さんとのコミュニケーションも、とても心地よいものでした。

自分の居場所を見つけた!そう感じてさえいました。

毎日モリモリ仕事をこなしていくうちに、いつの間にか何も考えないで動いていました。技術力には変に自信を持っていて、それが裏目に出ている事に気づくのはごく最近の事でした。

 

お客さん一人一人に向き合っていなかった。

いろいろな粗相や迷惑をかけました。

 

それでも支持してくれる方は常に応援してくれました。

 

管理職について1年半が過ぎ、スタッフの入れ替えも安定して、またあの時のようにみんなが一生懸命になってよりよい環境が作れる!またあの時のように頑張れる!

 

そう思っていました。

 

コロナ解雇(フリーダム)

コロナ感染拡大に伴い、緊急事態宣言発令。お客さんは自粛してほとんどこなくなってしまい、スタッフも不安がる日々を過ごしていました。

 

それでも来てくださる方は来ていただいているのでせめてもの救いでした。

 

そんなある日、とうとうこの日が来てしまったのです。

 

こんな時期にそれもいきなり・・・

 

初めのうちはショックでしたが、意外と重苦しくはなく、むしろ肩の荷が降りたような気がしました。

 

朝8時前から夜8時過ぎまでという長い時間的拘束から解放された

 

これが解雇されたときに一番初めに思ったことでした。

 

解雇に関してはしょうがないこと、過ぎ去った事で、

目を向けるべきはこれからは自分自身で道を切り拓いていくということ。

 

どんどんよくなる(どん良く)by:Qさん

何か始めようとするとき、僕はそれをイメージしたり、呼吸で感じてみたりします。

 

いいイメージがすぐに浮かび上がるか

呼吸がスムーズ、もしくは気持ちよく大きく吸えるか

 

これが出来たら僕の場合ほぼ間違い無いです。

 

今、それが出来ているので、このままこの道を進めばいいということでしょう。

 

あとはしっかり行動に移すということを日々やっていく、それだけだと思います。

 

まさにこれから地に足をつけて歩いていくのです。←今更感w

 

整体のお仕事を中心にこれから僕の頭の中のいろいろなものをこのブログを通じて発信していきたいと思いますのでどうかよろしくお願いします。